遠くまで来た甲斐はありました
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今日の天気予報は雨。この数日間の活動でさすがに疲れきったので、今日は休養日に当てる事にしました。貴重な休日で勿体無い気もしますが、もう年なので仕方ありません。空いた時間にボランティア報告を作りましたので、とりあえずUPしちゃいます。
東日本大震災災害ボランティア報告(110401~110405)
(目的)窮乏する災害避難所を訪問し、苦しんでいる方々に対し、自分のできる援助活動を提供する。
(もう一つの目的)日本の将来を大きく変える事となった大災害の現実を自らの目で見てくる。
(方法)高山出身の県会議員川上哲也氏のNPOによる炊き出しボランティア活動に飛び入り参加させていただいた。
(もう一つの方法)末端の避難所まで援助物資を届けるべく、走行距離24万キロを超える愛車を壊れる寸前まで走らせた。
(内容と結果)ライフラインと行政支援の行きとどかない各種避難所で、DMAT等災害医療チームの邪魔にならない様に行動し、その隙間を埋める活動をした。具体的には花粉症薬と湿布薬を配るのが自分の医療活動の大半を占めていた。
また車に積み込んだ灯油、ガソリン、水、食糧、薬品、子供用靴30足、婦人下着100着等、を窮乏する方々に、全て直接被災者に贈り届ける事ができた。
(もう一つの内容と結果)現地は花粉と瓦礫粉塵がものすごい。そしてまだかなり寒い。全ての被災者の元に無理、ムラ、無駄なく救援物資を届けるのは事実上不可能としか言いようが無い。
(考察)津波被害は広範囲で甚大すぎる。病院や医師も津波で大きな被害を受けている。自衛隊等による組織的援助は末端避難所まで届いていない。各避難所間の格差も激しい。救援物資が満載の場所もあれば、飲み水にも困る場所もある。
自分の行った各避難所ではライフライン復旧見通しも立っておらず、持参品はほぼ半日で全て配り終えてしまった。
(もう一つの考察)大災害の現場を見て、そのものすごさを実感できた。とはいえ全ての避難所で何らかの医療援助は届いていた。現場での医療需要はお年寄りの慢性疾患への対応がほぼ全て。
救急医療チームは気仙沼市立病院等機能が残っている病院と連携し、そこに重症慢性疾患老人を救急搬送するのが主な仕事。産婦人科医として激甚被災現場でやれる事は無い。
道路は寸断され、電気、水道も無い地域で、ボランティアは自分の食糧、水、燃料を最低でも持参する必要がある。地元の人に迷惑かけずに行動するのは簡単で無いし、ある程度の経験も必要。
物資を届けた現地避難所の方々には喜んでいただけた。しかしあまりに規模が小さい活動なので自己満足でしかないという事も事実。東北太平洋岸はもともと余力の少ない少子高齢化社会。今後の持続的な援助活動と日本の未来を思うと暗澹たる気持ちになる。
以上です。ちかい内に本HPにしっかり記録しておきたいと思っております。
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昨夜も当直で3日連続のアルプス泊まりとなった。もちろん何の問題も無い。喜んでばかりもいられないかもしれないが、夜中に起こされる事も無く熟睡感も得られた。
眠れなければイライラするが、その後しっかり眠れればきちんとリセットされる。怪我や病気と異なり後に引かないのは、寝不足との病気との大きな違いだと思う。
電カルストレスも少しづつだがやっと山を越えてきた。今まではナリフリ構わず不良箇所を治すと言った感じの電子カルテとの戦いだった。とにかく目の前の業務をこなせなければ話にならない。しかしこれからはカスタマイズや改善といった、もう少し上等な電カルとの戦いになる感じがする。
争いごとでもまずは戦い終わった後に、続いて妥協と交渉の時が始まる。僕の電カルトの戦いが勝利だったのか敗北だったのかは分からないが、とにかくこれからは妥協と交渉が、この小さな箱の機械の中身相手に始まると思う。良いか悪いかは別にして、業務がそれほど大変で無く、おちついてくれている事も大きい。
さてさてそんな感じで自分のHP引越しもどうやら先ほど一段落ついた気がする。この臨時報告も1ヶ月以上に渡ってしまった。明日からは本報告の日記に戻ろうと思う。こちらのHPもあまり代わり映えせずに、相変わらずの更新になるだろうが、それでもコツコツ続けてきたHP作りだ。これからも飽きない程度に続けたいと思う。
という事で明日から再会する本HPへGO
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有難い当直の先生に高山まで週詰めで来て頂いている。今までの事を思うと恵まれていて勿体無いくらいだ。とはいえ昨日は午後に入り分娩が3件と処置が2件あり。その内一件はとある理由で要注意だった。
僕は電子カルテにまだ慣れていないし、周りも同様に決して慣れているとは言えない。未だにアルプスは離陸直後の不安定飛行状態だ。僕の修行時間はまだ続いているし、こんな状態で家に帰りのんびりするなんて事はできない。
仕事は多くなくても時間はかかる。と言う訳で昨日も病院泊り込みにした。当直先生のお陰で夜中に起こされる事も無く、きちんと朝まで眠れた。
さて話は変わり、人間世界には様々なルールが存在する。それは法律だったり、校則だったり、社員規定だったり、何らかの不文律だったりする。いずれにせよ全くルールを無視して生きていく事は、人間である以上不可能だ。
一般的に不良の多い高校では校則の数は多いし、治安の良くない国では刑罰も重い。僕はサッカーが好きだが、サッカーはルール少ない競技と言う事で有名だ。だがその分サッカー選手は常日頃からフェアーでジェントルである事を求められる。そうでないとサッカーなんて直ぐに大人の喧嘩になってしまう。
ルール少ない場所で生きようと思えば、それだけ世間を見渡せる能力や分別が、自分にも周囲にも必要なのだ。
また人は自らルールを求める生き物でもある。多分ルールに従って生きる事で、平和や生活の安定を得られるという事を、人間は赤ん坊の頃から教わり続けるからだろう。人間社会は難しい。ワイルドなフロンティア人生に憧れても、それはもう不可能な話なのだと早く悟らないといけないに違いない。
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何と昨日夕方から代務先生が3人も高山まで見えてくれている。もちろん久美愛時代には、引継ぎの時間も含めてこんな事は一度たりとも無かった。つまりある意味昨夜は飛騨地域の産婦人科医人口(普段は5人ですから)が、過去最高を記録した記念すべき夜?だったと言えるかもしれない。
久美愛部長時代に繰り広げてきた数々のロビー活動は一体なんだったんだろうと思っちゃったりする。また同時に人が動くのは義理や人情だけからではなく、その他に人脈、金脈、好奇心等も必要だという事を改めて認識したりもする(気づくのが遅すぎるか・・)。
とにもかくにもそういう訳で、日曜日夕方までは、それこそ全てを代務先生にお任せして気兼ね無く、高山を離れれる時間となった。しかしあろう事かこういう時に天気は悪い。朝には空から涙雨が降っている。しかも僕はPC疲労で目や心が疲れきって?いた。と言う訳で山に行くのは軽くあきらめる。
そして心入れ替えて?名古屋まで車を飛ばし、学会聴講の方を選択した。たまには僕も勉強しないと格好がつかない。ついでに駅西のビックカメラでちょっと大きな?買い物をし、更には目に良さそうな健康薬品を買って、先ほど帰って来た。
普段はどおって事は無い名古屋往復だが、なぜか今日は名古屋市内の運転が妙に危なっかしかった。2回ばかり歩行者とぶつかりそうになる。
こんな事なら家でひたすら休んでいたのが正解だったかもしれない。とはいえ3人も産婦人科先生が来てくれているのに、そんな勿体無いことが出来るわけは無いともやはり思う。
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だんだんと電子カルテの性格が分かってきて、少しはカルテ記入のスピードが速くなってきた。それと共に自分とカルテの両方の限界も見えてくる。
僕は目がしょぼついてくるし、電子カルテは幾ら早く打ってもその起動時間はある程度以上短くならない。しかも2人、3人、4人といった人数の同時診察と言うのも事実上不可能だ。
久美愛時代の秒単位外来は早くも昔のものとなった。その分一人一人丹念に診察して説明できれば良いと思うが、実際はPCと睨めっこしている時間が増えただけあなので、自分でも歯がゆくてイライラする。自分のパフォーマンスがたわけた?機械に規定されているのが何だか悲しい。
さてそんな中でもいつまでも電子カルテに愚痴をこぼしていれば良い訳ではない。
仕事は確実にある。ついに昨日午後はアルプスベル初の緊急帝王切開があった。それもとある理由でやや困難な部類に入る手術だ。しかしそこは多くの優秀なサポート?スタッフの協力を得て、無事にこなす事が出来た。これは記念すべき事だと思う。
緊急帝王切開にいかに上手く対応するかというのは、アルプスベルの様な都市型産院の最大の胆だと僕は思う。美味しい医院食や綺麗な病室で売っているなんて僕はそれほど思ってない。むしろこれから我々は緊急帝王切開の質で食べていくと言っても過言では無いと思っている。快適も大事だが安全の方がもっと大事なのだ。
だから絶対に失敗は許されないし、失敗したらアルプスベルはその存在意義を失うと思う。手術手技はそれほど大問題ではない。むしろその前後の準備、片付け、プロセスの方が重要だ。
と言う訳で昨日の初手術は僕にとってドキドキ?の出来事だった。それが無事上手く行きアルプスベルは最初の大きなハードルを一つクリアした。これで僕等はもう少しの期間は、この仕事で食べていけると改めて思ったりする。
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院長である僕が、8月31日まで久美愛で仕事していたのがいかんのか、肝心かなめの電子カルテが出来上がったのが8月31日の夜だったのがいかんのか、とにかくアルプスベル開院では、いわゆる普通のリハーサル期間というのがあまりに無かった。
9月1日開院日から、電子カルテを中心とした全ての連携プレーがぶっつけ本番状態に突入する。
自分でも良くパニックとならず頑張っていると思う。これも普段から山で心身を鍛えて?いるからだろう。日曜夜もアルプスに泊まりがけとなり、仕事稼働しつつ同時に各種準備業務を行っている。まあ準備と本番が同時にやってきたのだろう。
というわけでアルプスはまだ完全に開いてないし、久美愛産婦人科もまだ閉じてない。僕の心の中ではそうなのだ。どうしても気になるので月曜の午前診察と夕方診察の間を使い、急いで久美愛に車を走らせた。
空いた部屋と、空っぽの机、そして患者さんのみえなくなった病棟を見ると、さすがに少し寂しさを感じる。僕の戦場はその場所を変えたのだと改めて感じる。机の鍵とかをもとあった場所に戻しておき、最後の雑品を車に詰め込んだ。
さらば久美愛。僕はそこでの戦いの日々を一生忘れないだろう。
久美愛での戦いに僕は勝ったのだと思う(多分)
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という訳で、土曜の夜はまさしく25年ぶりに多くの先輩、仲間方と驚き?の再会を果たす事になった。次々と表れる昔杵柄の山岳部OBの方々に胸が詰まる思いがする。某先輩も話していたが、これは奇跡に近い感動的な出来事だ。
もう皆すっかり大人になって、昔の面影は全く無いなんて書きたい所だが、そんな事は全く無かった。
皆驚くほど昔と同じで若くかつスマートだ。太って変わり果ててしまった方なんて誰ひとりいない。違いは僕の白髪が増えたくらいだと思う。「何も変わらんなー君の25年間はいったいなんだったんだね」なんて言葉があちこちに飛び交う。
ただやってる事は同じでも。社会的立場は確実に学生の頃と違っている。ハセツネカップを走る大新聞総局長もみえるし、昔キャベツの芯で飛んでいた?人間が、今は夜に山を走って飛んでいたりする(詳細説明は省略)。僕も数日前に開院したばかりで、昔とは確実に社会的立場が変わっているだろう。
それはともかく何はともあれ、もちろん土曜夜は焚火を囲んで昔話で盛り上がる事になる。明神池の鯉を手づかみで食べた話とか、梓川をエアマット持って河童橋まで泳ぎ下った話とか、もう当然時効は過ぎているからここに書いちゃっても良いだろう。
そして管理人さんに怒られるまで、歌って騒ぎ、川をまた渡る?所懲りも無さ過ぎる50歳のオヤジ集団だった。
皆様及びこの会を企画してくれた幹事様には本当に有難うございました。お陰でとびきり楽しい時間を過ごす事が出来ました。
そして僕は日曜朝には早起きして、やはり中尾峠を越えて飛騨高山に戻ってきた。その午後にはとある医師会の集まりがあり、それに出席して重要?な書類を受け取らないといけない。疲れていたが、無理して上高地まで行って良かった。
皆大人になっても飛び跳ねていたし、僕も負けずにまだまだ元気に動いて生きたいと改めて思う。
25年たっても、回りを無視?して騒ぐおじさんたち
眠たかったけど楽しかったー
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昨日も夜遅くまで開院準備に励んだ、一度帰宅はできたが、忘れ物をした事に気づいて再びアルプスに戻る。そのまま面倒くさいので院長室で寝てしまった。
その判断は正解で、明け方に分娩入院が入ってきた。しかも悪い事に明け方に心拍が落ちるという非常時連絡で起こされる。ここは半分寝ながら院長室から分娩室に移動してせっせと朝飯前にしてはややハードな業務に励んだ。
その後は久美愛病院で最後の外来業務だ。最後の患者さんが近つくとさすがに寂しい気がしてきた。片づけ終わった診察机を見ていると、13年間の戦いの日々の記憶がぐっと迫ってくる気がする。
大きな荷物を抱えて、病院を出た。なんだか忘れ物をしている気がする。考えてみたら最後の病棟回診を忘れていた。というわけでまだ僕の久美愛での業務は終わってない。また時間をみつけては久美愛に顔を出そうと思う。
その後はアルプスベルで明日からの本格開業の準備だ。夜になっても電子カルテの準備が終わらず、したがってリハーサルも練習も碌にできない。こんな事であの秒単位外来に対応できるか、大いに不安だがそんな事を言ってられる状況で無いことは僕も皆も良く分かっている事だろう。もう始めてから、どうするか考えるしかない。当たって砕けろの精神でもうそれしかないだろう。
そんな感じで8月31日の夜遅くになっても、職員、業者さん皆まだ仕事中だ。僕の周りでは何も終わってないし、何も始まってない。それでも否応なく変化は来る。考えてみたら今までもこう言う事は何回もあった。きっとこれが僕の宿命なのだと覚悟して明日を迎えよう。
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昨夜も深夜未明の丑三つ時に分娩が入り、夜中の仕事となった。結局なんだかんだと自宅には戻れない。アルプスベルの朝食を食べると、午前中は久美愛での外来業務となる。いよいよ久美愛での仕事も残り秒読み段階となり、外来はまたとても混んだ。
今日は午後から医局同期のとあるCCO?先生と、岐阜周辺の病院を開院挨拶周りしてくる予定がある。長良センター病院の待ち合わせの時刻に間に合わせるために必死?のスピード外来となった。
外来業務も2つの病院のオーバーラップ期間として、様々な特殊な注意を要する。壮絶な秒単位外来に患者さんはどう思われたかは分からないが、それはともかく今までに無いほどのパフォーマンスを発揮し、外来を終わらせると車に飛び乗り、高速を飛ばし、岐阜に向かった。
長良センター病院には約束ぴったり午後3時?に到着する。その後はCCO先生のBMWに便乗させていただき、岐阜の主な病院を回り開院挨拶をしてきた。先ほど高山に戻ってきたが、もちろんクタクタだ。にもかかわらず今夜もこれから分娩で深夜に起こされるだろう。
CCO先生のBMWの助手席に乗っていた時間が、今日最もゆったりできた時間だった。どこまでこんな大変な日々が続くのかは分からないが、僕もなにか特別な乗り物に乗り、駆け抜ける喜びでこの大変な時間を駆け抜けていけれれば良いと思う。
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何だかんだの引越し準備で昨夜もアルプスベルに泊り込みとなった。泊り込み言っても展望抜群?な素敵な院長室が設置されているので、洒落たビジネスホテルに泊まってると同じで、苦にはならない。
もちろん院内食の食事付きで、昨夜はレアで焼いたステーキがメインディッシュだった。このまま毎日病院の産褥食を食べていたら、あっと言う間にメタボになると思う。何と言っても僕は乳を出す必要は無いのだ。
今日も午前中は外来で検診と書類業務。午後からは諸々の引越し作業に追われている。自宅と久美愛とアルプスベルでの3重生活はもうしばらく続きそうだ。
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昨日の午後の手術は、東海地区の産婦人科界では有名?なとある医療法人のCEO先生に助手をお願いしていた。おそらくこれが久美愛病院最後の分娩となる。CEO先生は「俺はクローザーだな」なんて言いながら、せっせと手を動かしていた。
その後は回診と引っ越し準備を大急ぎで進めて、夜からは送別会?第3段兼納涼ビール会に出席し、皆と最後のお別れ飲み会となる。「これで一つの時代が終わった」という感じがして、なんとなく身体が溶ける様なビールの味がした。
そしてなんとその送別会の真っ最中に、アルプスベルの記念すべき?一人目の分娩が入った。ある程度予想していたとはいえ、分娩初日からお産があるとは幸先良い?のかもしれない。
しかし僕は既に大分と飲んでいる。ここはこれまたCEO先生に活躍していただく。CEO先生は久美愛分娩のクローザーであると共に、アルプス分娩の先発投手にもなった。僕はその陰の補欠選手?みたいなものだと思ったりする(なんてね)。
そしてその夜(つまり昨晩)、僕は当直として新装相成る出来立てほやほやのアルプスベル院長室に泊まった。先発投手は渡しても、初めての夜はいただこう(これまたなんてね)。初めての夜は起こされる事なく、きちんと朝まで眠れた。
なにはともかく、それはさておき、これから新しい職場での仕事が始まる。まだ引っ越し期間の真っ最中だが、新しい職場でも素敵な価値ある仕事ができれば良いと思う。
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いよいよ月曜日からアルプスベルでの分娩業務が始まる。日曜未明に滝谷に遊んできてからも、当たり前だけど猛烈に忙しい。
まずはPC関係の引越し。今まで培った?ネットシステムの引越しもあるので、これが上手く行くかは運次第だ。
久美愛病院での分娩も引っ切り無しだ。日曜昼の段階で3人の経過中の方が入院していた。このうち何人かはアルプスに移動するかもなんて思いながら仕事進める。しかしここはついてる?久美愛病院である。
昼過ぎに1件、次いで遅い夕食時に1件、ついで日曜日から月曜日に日付が変わる頃に更に1件と分娩が続く。もちろん僕は休む暇も無い。しかしこれでは話は終わらない。
今日月曜日の深夜午前4時にまた久美愛分娩室から電話が入る。いきなり?心拍下がるから早く来てというスクランブル発進依頼だ。と言う訳で疲れた身体に鞭打って急遽出動。深夜未明の吸引分娩で素早く対応する。
そして今日も朝から外来続いて手術もある。
これで24時間プラスアルファー連続業務と言う感じだ。眠剤の適切利用など様々な手練手管?を利用して、過労死に至らない様に気を付けているが、こうやってブログアップできるくらいなのだから、きっと大丈夫なのだろう。
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送別会で飲み潰れた?お陰で、かえって土曜日の仕事とアルプスベル準備がはかどった。代務の先生は日曜朝には帰ってしまう。ここは土曜夜に早寝して、日曜朝までの夜の時間に山で運動してこようと思う。何といっても昼間は暑すぎるので、ちょっと山を歩くという気も出ない。
というわけで、今日の午前0時に家を出て、新穂高温泉から滝谷の偵察をしてきた。滝谷というのは知る人ぞ知る北アルプスの有名な岩壁だが、その末端にある雄滝下まで行き、その登路を探ってくる。雄滝下はカチカチの大きな雪渓になっていて、ちょっと危険な状態になっていたから、その真下に近づく事はできなかった。それでも十分すぎるほどの涼を堪能できる。明け方は寒くてぶるぶる震えるくらいだった。
MTBを利用して素早く移動、帰りに荒神の湯で朝風呂を浴びて、午前8時には家に帰り着いていた。さすがに眠いが、それなりの運動とプチ冒険気分を短時間に味わう事が出来て嬉しい。
自宅に帰って、一休みしていたら早速病院から電話が入る。代務先生はもうすでに高山を去り、経過中の方が2人入院してきたという事だ。これからまだたくさんやる事はある。長い日曜日もこれから更に忙しくなりそうだ。
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昨日の朝にバンコク経由で成田空港到着、新宿からの高速バスに乗り昨夜遅く高山の自宅に帰り着きました。
今日は午前中に久しぶりに病院に顔を出し、先ほど帰国の挨拶もしてきました。手術と外来は来週から再開しようと思ってます。この数日間は貯まりに貯まったメールと郵便物チェックに時間がかかりそうです
心配されていた指先の凍傷も無いし、頭もそれ程は低酸素の影響を受けていいません(多分)。もうしばらくは冒険ボケが続くでしょうが、病院産婦人科のスタッフも皆元気で変わらずきちんと機能していただいてました。きっと全てが上手く行ったのだと自分では思っています。
今回の旅は大成功で終わりました。多くの方に大変な迷惑をかけた事は紛れも無い事実ですが、今は今回の挑戦を決めた自分を誉めてあげたい気持ちです。
これからは婦日の山と仕事報告の方で寝不足日記を再開しようと思ってます。
こちらの臨時報告は今日までにします。近いうちに本HPでこの春の冒険の記録も作ってUPしようと思いますのでどうか楽しみにしていて下さい。それではまた。
最後になりましたが、今回の冒険の旅でご迷惑をおかけした多くの方にお詫び申し上げると共に、ご心配かけた方々に厚くお礼申し上げます。
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ルクラの飛行場に置いてきぼりにされていた荷物も、どうやら今日無事カトマンズの空港に到着したらしい。
このままスムーズに行けば明日には帰国の飛行機に乗れるはずだ。多分数日以内には自宅に帰れるだろう。2月14日に13年ぶりの海外旅行で日本を発ってから、かれこれ3ヵ月半が経った。
強烈すぎる冒険の日々が終わり、もう少しで日本での生活が再開される。嬉しい様な怖いような複雑な気分だ。この3ヵ月半で僕はカルステンピラミッド、メラピーク(これは頂上直下まで)、エルブルース、アイランドピーク、そしてエベレストに登った。
その結果僕は日本人で156人目のエベレスト登頂者、16人目くらい?(諸説あり)の七大陸最高峰登頂者になったらしい。だからどうと言う訳ではないが、悪い気持ちではもちろん無い。七大陸最高峰を巡る旅は、世界の辺境を巡り地球を探る旅でもあるからだ。
そしてもちろんその為には、家族、地域の医療関係者、数多くの患者さんにも多大な迷惑をかけ、かつまた大変なお世話になった。
本当にこの旅が上手く行って良かったと思う。こんなに大成功を収めるなんて夢のようだ。これは僕にとって間違いなく一つの人生の奇跡だ。ここに至れた事にただ心から感謝したい。
おそらく次のブログ(もしくはHP)の更新は帰国後になるだろう。それではその時までまた。しばらく海外冒険ボケが続くでしょうが、帰国後も変わらず仲良くしてください。
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皆様お久しぶりです。ぐらぐら揺れる恐怖のツインオッターフライトを経て、昨日やっとネットと繋がる文明?世界に下りて来ました。今はカトマンズで荷物待ちの最中です。
この10日間は嵐のような激動の日々が続き、何からここに書こうか大いに迷います。
しかしやはり命がけだったエベレスト登頂の記録をここに少し記しておこうと思います。5月17日に標高5400mのエベレストベースキャンプを出発して、その日の夜遅くアタックメンバー全員は標高6300mのC2に集結しました。
19日夜は標高7200mのC3に宿泊。ここからは睡眠用に酸素が使えます。ところが僕の酸素ボンベのレギュレーター接続が不良で。この日僕は酸素を吸えず一睡もできない苦しい夜となりました。それは今から思い出しても厳しく長い恐怖の夜でした。
一睡もできないまま翌日を迎え、行動用酸素ボンベ1本持ち、20日にC4サウスコルに移動。C4の標高はほぼ8000mです。
ところが僕は初めての酸素マスクを使った行動に大いに困惑しました。呼吸困難の恐怖からほとんどパニック状態となり、行動中に予想以上の酸素を必要とします。
8000mに着いた時にはボンベ内の酸素が0となり、命からがらギリギリのC4到着となりました。それでも途中で昏倒する事無く、ぎりぎりC4に到着できたのはとてもラッキーだったと思います。
頂上アタックはC4到着後4時間後からでした。20日の深夜スタートです。ここまできた以上生きるか死ぬかいちかばちかの戦いだとこの時思いました。
ここまで来て引き返すなんてできはしない。碌に寝れない食べれないの頂上アタックでしたが、自分の身体の限界までがんばろう。ここが人生のがんばりどころだ。ここでがんばらなければ一生後悔するのは間違い無い。そう思いました。
覚悟ができれば後はスムーズでした。頂上アタックの日には十分量の酸素があり、素早くかつ強く行動できました。超高所での行動は酸素の流量が自分の行動のすべてを決める事を痛感しました。C4を出てから8時間後の21日午前7時半に僕はエベレスト頂上に立ちました。
そのほか色々な出来事は山ほどあったのですが、いずれ詳しい報告も帰国後にできると思います。きれいな写真もたくさん撮ったつもりです。C2からC1の間ではスキーも楽しめました。
今はまだ頭の中で色々な記憶をまとめきれて無い状態ですが、近いうちにネット報告もするつもりです。それでは皆様また。いつか何処かで。
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高所順応目的でアイランドピーク(6150m)に登り、昨日タンボチェ(4400m)に戻ってきました。
比較的簡単に登れるだろうと甘く見て?かかった登山でしたが、実際はなかなか大変で、岩ありクレバスあり、更には雪壁から雪稜とこれまた予想以上に大変な登山となりました。
これから更に2500m以上も高いエベレストに登りに行くと思うと呆然としますが、全力を尽くして戦う覚悟はできているつもりです。
今日は休養で明日からいよいよエベレストベースキャンプに向かい標高を上げていきます。
今世界では豚インフルエンザが大問題となってるようですが、とりあえず今の僕の周りでの大問題は下痢と高度障害です。
次に僕がネットに向かう時には、インフルエンザも下痢も収束している事を切に願います。
それではまた。
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僕は今標高4400mのディンボチェという小さな集落にいます。そこにシェルパサイバーカフェという看板を見つけたので、そこからブログアップを試みています。
キャラバンを始めて5日目で、今日は休養日です。とはいえ先ほどディンボチェの裏山を標高4700mまで上がり、高度順応トレーニングもしてきました。
食事が美味しいので毎日食べ過ぎてしまいます。おかげで今朝からはついに下痢が始まりました。今回の旅ではずっと胃腸の調子良好だったのですが、これは今回の旅で初めての下痢です。
もちろん高所の影響もあり、常に多少の息苦しさを感じてます。ただキャラバンは専属シェルパとコックのおかげで快適です。
順調に行けば明日はイムジャコーラを遡り、明後日からおそらくアイランドピーク登山が始まると思います。エベレストベースキャンプに入るのはその後です。アイランドピークは高度順応のために登るトレッキングピークなのですが、どうせならローツェ南壁をマジかに見て、楽しい登山ができたら良いと思ってます。
次にブログをアップできるのは何時になるか全く分かりません。腹痛や頭痛や倦怠感を克服し、高所順応に成功、無事エベレスト登頂生還できる事を心より願い祈っております。
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アエロフロートに半日間乗り続けて先ほど成田空港に戻りました。一泊だけの東京トランジットで明日からいよいよエベレストです。
今は時差で眠いですが、PC睨みながら各種連絡準備に励んでいます。
今回のエベレストの記録報告はプロフェッショナル隊長のブログにも勝手にリンクしておきます。
それではまた。
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この2週間はロシアに飛び、黒海とカスピ海の間に聳えるコーカサス山脈でスキーとエルブルース登山の日々を大エンジョイしてきました。
3月31日に現地到着して、その当日から標高差1000mから1500mの山スキーを連日繰り返しました。それは激パウダーからカリカリ氷河までありとあらゆる雪質を経験、今までの人生で最高のスキーの日々と言って過言でないと思います。
更に4月6日にエルブルースの麓に移動、まだ今年誰も登頂していないヨーロッパ最高峰に、氷の斜面との戦いに勝ち8日に登頂しました。
前日にはノルウェーパーティーが滑落して足の骨を折るというアクシデントがあり、登頂は最後まで危ぶまれましたが登山ラインの変更という作戦と、天気予報が良い方向に外れて好天に恵まれたのが成功の要因でした。
自分で言うのも何ですが、根性と幸運の登頂でした。今はこの幸運が次のエベレストでも続いてくれる様、心より願ってます。
赤線ラインが登山ルート、通常ルートを大きく左に巻いて雪を繋げた
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標高6450Mのメラピークでの戦いを終え、つい先ほどルクラという飛行場のある町に下山してきました。
頂上直下50Mに大きなクレバスが開いており、残念ながら惜しくも登頂はなりませんでしたが、標高6000M地点から豪快パウダー滑降を当てることもでき、自分では上出来がんばったと思ってます。
約2週間で6400M地点を往復できましたから、エベレストの前哨戦としても、それなりの成果を上げたつもりです。
猛烈な寒さの登山で、今でも指先は少し痺れてます。
僕以外に欧米人登山者が同時期約20人近く入っていたのですが、彼らはみな寒さで6000M地点以下で撤退していました。
カルステンに続いてこれまたなかなかの激闘だったのですが、パソコンの関係で写真付き子細報告はまた後日にします。
それではまた。近日中に。
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カルステンは予想以上に大変な登山でした。その最大の理由は雨のジャングルを計2週間にわたって移動しなければならなかったからです。
毎晩壊れた傘をさして、濡れた靴をはき、立ったままで、泥の上で食事を食べるという、今までに無いジャングル体験でした。
帰りには増水して、渡渉に大苦戦、現地ポーターが川に流されたりと、困難続きでした。
おかげでデジカメとヘッドランプが各2機づつ水没で修理不能、靴とヤッケが泥で廃棄処分となりました。
それでも無事に帰れて今はなによりです。
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婦日の山と仕事報告の臨時報告ページ(海外特別版)を今日から始めます。
まずはインドネシア領ニューギニアにあるカルステンピラミッドに向かいます。カルステンピラミッドはオセアニア州の最高峰とされている岩峰です。BCまでジャングルを5日間歩かなければたどり着けません。
その後はそのまま直接ネパールに入り、トレッキングピークのメラピーク登頂を目指します。こちらでは標高6500mの頂上よりスキー滑降を目指します。素敵なコンディションに当たる事を心より願ってます。
本ページhttp://homepage2.nifty.com/gynealp/ もよろしく。
あくまでもここには海外よりの臨時報告のみ載せるつもりですが、ここまで訪問して下さる方は、僕にとってとても有難い方です。
深く感謝します。自分の言葉で記述した有意義な記録ページにしようと努力しますので、ぜひこれからもご訪問下さい。
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